ほんわか猫さんがハマボウについていくつか日記を書いて
おられます。花を愛ずることのできる自生の木である上、
盆栽としてもっと栽培されてよい木かと思います。
ハマボウを読んでて下のようなサイトに出くわしました。
ご興味のある方はご覧ください。
(以下引用)
http://www5e.biglobe.ne.jp/~lycoris/nonohana.dayori.natu.html#hamabou
きぞの夜の夢はかなめるわが目には
淡黄色なるはまぼうがあはれ 木村流二郎
木村が見たその夢に想いをはせるのは心休まることなのだが、梅雨の晴れ間に訪れた、遠州灘に河口を開いた弁財天川の、その岸辺に咲いていた淡黄色のハマボウはまったく別の意味で哀れであった。
私が最初に出会ったハマボウは、小笠原父島のコペペの白砂の浜に鬱蒼と茂って、明るい黄色の重量感のある花を群れ咲かせていた。その姿に比べると、魚影もなく淀んだ川岸に廃プラを絡めて、それでも美しい花を枝先に咲かせている姿は哀れであった。目の前の砂丘では巨大な風力発電機が低音でうめきながら廻っていた。
ひとたびヒトという生き物の生活圏に飲み込まれれば、草木も獣も水界の生き物たちもなべて本来の姿や暮らしを保つことはもはや不可能である。なんという傍迷惑な生き物なのだろう、ヒトは。
おまけにヒトは他の生物だけでなく同類をも苦しめる。戦争やテロはそのさいたるものであるが、日常の経済活動や政治も平然ともっともらしい理屈のもとに弱者を痛めつける。
最たる哀れな存在はヒトそのものかもしれない。