浜離宮恩賜庭園
2013年6月8日
・潮入の池と二つの鴨場をもつ江戸時代の代表的な大名庭園。
・潮入の池とは、海水を導き潮の満ち干によって
池の趣を変えるもので、海辺の庭園で通常用いられていた様式。
・旧芝離宮恩賜庭園、清澄庭園、旧安田庭園なども昔は潮入の池。しかし現在、実際に海水が出入りしているのは、ここだけ。
・浜離宮は、潮入りの池や池や鴨場を中心にした南庭と、
明治時代以降に造られた北庭とに大別される。
・この地は、寛永年間(1624~1644年)までは、将軍家の鷹狩場で、
一面の芦原。
・初めて屋敷を建てたのは、四代将軍家綱の弟で甲府宰相 の松平綱重。
・承応3年(1654年)、綱重は将軍から海を埋め立てて
甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てる許しを得た。その後、
綱重の子供の綱豊(家宣) が六代将軍になったのを契機に、
この屋敷は将軍家の別邸となり、名称も浜御殿と改められた。
・以来、歴代将軍によって幾度かの造園、改修工事が行なわれ、
十一代将軍家斉のときにほぼ現在の姿の庭園が完成した。
・明治維新ののちは皇室の離宮となり、名前も浜離宮となった。
・その後、関東大震災や戦災によって、
御茶屋など貴重な建造物が焼失したり樹木が損傷。
・昭和20年11月3日、東京都に下賜され、整備のうえ
昭和21年4月有料公開。
・国の文化財保護法に 基づき、昭和23年12月には国の名勝及び
史跡に、同27年11月には周囲の水面を含め、
国の特別名勝及び特別史跡に指定。
東京都公園協会 ホームページより
約2時間の滞在の間に、潮の満ち引きをしっかり確認することが
出来て、興味深かった。
花菖蒲の植え込みに黄菖蒲が混じっていないのが、好ましい。
紫陽花の観賞に出かけたのだが、想像以上に面積が広く
全てを見て回るのだけで、手一杯になった。
埠頭の芝生広場では、ゆっくり座って過ごせるので、
時間に余裕があるならば、敷物を持参するのが良い。
将軍様の時代のように、園内で象を飼えば面白いのに。
今は猫が将軍様気分でお茶屋の軒先を楽しんでいた。
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