寒い日、今日は阪神大震災から19年。
忘れもしませんが、もう19年かと・・・。
どんなに悲しくても時は流れていきますね~
全国的にはもう忘れられてしまってるかもしれませんが、こちらの新聞は取り上げています。
その後の人生の記事を読むと泣けてきます。
気を取り直し、庭では秋に種まきした、アグロスティン、オンファロデス、ニゲラ、エキウム ブルガレ、風鈴オダマキなど元気に育っています。
虹色スミレに何年物のアザレアが寒空でも咲いて、私を慰めてくれます。
今日は寒い中でしたが、バラの剪定を五本やりました。
つるばらは早くやらないといけないのになんせ本数が多いのでなかなかです。
また、ゴミで収集のおじさんが怪我されないように細かく切って何重にも袋に入れる作業が大変です、
でも、ようやく半分以上できたので気分が楽になりました
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始めまして!
返信する神戸に震災の数か月後に現地に行きました。
港から船で視察したり、中心街の火災で焼失した場所や、高速道路が垂れ下がった惨状を今でも忘れられません。
昨年神戸を訪ねて、跡形もないといった様子に驚きました、当然かとは思いますが・・・
そして昨日NHKで小学校で震災から立ち上がるために造られたという歌を、忘れられそうな中で真摯に当時に向き合って歌おうとする皆さんの姿に感動しました。
涙が出て泊まりませんでした。
震災に遭われた皆様に心から応援をしたいと思いました。
忘れられない悲惨な災害でも、花で救われる人も多いはず、自分自身を励ますためにも感謝したいですね。
こんにちは。
返信するヒロさん、19年ですね。。
私は震災の直前、12月に神戸で結婚式を挙げました。
そのころは浜松に住んでいたのですが。。
本当に、まさか。。でした。
静かに祈りをささげる一日ですね。
秋に種まきされたものたち、大きくなっていますね!
すごい数^^
お花には本当に力をもらっています。
バラの剪定、私はまだ。。
来週くらいには始めます。
バラの剪定枝は、気を使いますね。
刺さるとすごく痛いですものね。
agri-taboさん、こんにちは。
返信するはじめまして、ようこそおこしくださいました。
ありがとうございます。
そうですか、数か月後においでになったのですね?
後はとても行くこともできない状態でしたから、船で行かれたことは貴重でしたね~
うちは被災しなかったのですが、親戚が被災して大変でした。
何か月も水が出なくて、週に一度の洗濯とお風呂に長い間きてました。
多くの若い人が亡くなり、その方たちも今おられたら働き盛りだと思うと胸が痛みます。
東北でもそうですが、こういった災害の後は心が折れそうになるので、歌や花で癒されるのですよね。
最後は人間は物だけでは癒されません。
自然界に癒されるのです。
agri-taboさんは広い農園をお持ちで、それを癒しの場にされつつあるとか、素晴らしいことですね。
また、そういった境遇がうらやましいです。
でも、それぞれの場所で植物にかかわり、少しでも心にうるおいを保ちたいとおもいます。
優しいおたよりに感謝です
mokaさん、こんにちは。
返信するそうですか、12月に結婚式を・・・
本当に運命と言うのはわからないものですよね~
あの日は朝早い地震だったので、多くの通勤客が助かりました。
もう一時間遅かったらもっと多くの犠牲者が出てたし、私も今頃はひとりぽっちになってたかも・・・。
いま、こうしてお花を楽しめる境遇に感謝ですね。
種まき苗、これが三っもあるのですよ。
春に植える場所がないかも、お友達がくれた種を全部蒔いたら発芽率がよくて、嬉し悲しです
バラの剪定頑張ってくださいね。
ありがとうございました
こんにちは。
返信するあの日は高速で神戸市西区へ行って、そこからフェリーで淡路島へ行く予定だったんで、ニュースを聞いて唖然としました。
翌日朝には淡路島にいたんですが、洲本市は影響がなさそうに見えたのが北へ行くにしたがって被害がひどくて、また驚きました。
あお@岐阜県さん、こんばんは。
返信するそうだったのですか
わずかな時間差では、あおさんも被害にあわれてたかもですね~
本当に運の分かれ目ですよね。
どこにいたか、どの時間帯だったのか、など自分ではどうしようもないものがあります。
家によって、隣は大丈夫ということもありましたね。
長い年月がかかってもまだ、この日が来ると心が痛み
被害者の心情を思うと泣けてきます。
淡路島にある野島断層資料館に行くと、よりリアルに地震の怖さがわかります。
こんばんは。
返信するあの日から19年なんですね。
あの日・・・なぜか直前に目が覚め、少しして大きな揺れを感じました。
地盤が緩い私が住んでいる地域は、遠く離れていても、震度5でした。
箪笥の上のものがバタバタ倒れ、嫁さんは、生まれて3ヶ月の長男の上に覆いかぶさりました。
部屋の熱帯魚水槽がバシャバシャ音を立て、部屋中が水浸しになりました。
神戸周辺の知人には、なかなか連絡が付きませんでしたが、幸い無事でした。
中には、本棚が倒れて、その下敷きになった後輩もいましたが・・・。
多くの悲しみがありましたが、見事に復興を遂げましたね。
同時に、あの出来事を無駄にすること無く、今後に生かしていくことが大切ですね。
それが残された私たちの使命なんだと思います。
こんばんは~
返信する震災から19年たちましたね。
息子が生れて半年後。
あの日の朝も寒かったわ。
こっちまで揺れを感じました。
その日は9時前に息子を背負って娘の訓練先に出かけました。
訓練が昼前に終わり、帰りのタクシーの中でラジオから地震のニュース・・・
帰宅してテレビをつけた瞬間の震災の映像は忘れられません。
息子の年齢と震災と一緒。絶対忘れません。
こんちゃんさん、こんばんは。
返信するそうですか、こんちゃんさん新婚さんだったんですね~
19年もたつのですものね。
うちはひどい揺れで、寝てて家が誰かに壊されたと、飛び起きました。
地震だとわかるのに時間がかかるほど、揺れました。
夫は大阪でも、地震の前に地面から湧き上がる音を聞いたと言っていましたから、こんちゃんさんもその音で目が覚めたのではないですか?
初めは被害がわからず、時間と共に見た光景は忘れることができません。
友達は小さな娘をピアノの下で亡くしました。
どこにもぶつけられない悲しみの深さは計り知れません。
その友達が今明るくテニスを一緒にしてるのが、救いです。
いろいろ勉強になりました。
今では寝室は何も近くにはおいていません。
あの時夫が単身赴任でいなかったから、私は部屋の端に寝てて助かりました。
箪笥が倒れてきましたから・・・。
神戸の街や西宮は完全に復興しました。
でも、毎年この日が来ると悲しみが湧きあがってきます。
本当に残ったものは、教訓にして生きていかないと、亡くなった方に申し訳ないですね。
donyiさん、こんばんは。
返信する息子ちゃんと同じ年数がたったのですね~
震災の時に生まれられたのですね。
また、そっちまで揺れたのですね。
凄い揺れでしたものね・・・。
弟が芦屋に住んでるのですが、リビングのテレビがガラスを突き破り10メートルほど飛んだそうです。
食器はほとんど割れてしまい、長い間うちまでお風呂と洗濯、食事に来ていました。
家は子供たちが電車で通学してましたから、考えただけで身震いしました。
家族が家にいるときに起きるとは限らないので、それが一番怖いです。
それまで、危機管理が足りなかったですが、今は東北のこともあり国がいろいろ取り組むようになり、亡くなった方たちに顔向けできるように少しなりました。
私たちも教訓にして色々考えて暮らしていかなくてはならないですね~
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