自分の目で見たものを基準にして生きていくのは
簡単そうで案外難しい。
いつだって、自分は自分に自信がないし、
どこでだって、自分が一番自分の責任をとりたくない。
それでも、
初めて瞼を開いた時から最後に瞼を閉じる時まで、
この両の眼で見たものを選び、覚悟して、糧にしていくしかないから、
いつだって大きくかっぴらいて、
世界を矯めつ眇めつ眺めるしかないのだろう。
私の目が綺麗だと思ったものに、綺麗だと笑ってくれる人に
巡り合いたい。
その人の目が悲しいと思ったものに、哀しいと涙をこぼす
私になりたい。
そうしていつか、灰色の翼をもった大きな大きな鳥に
この両眼をくれてやりたい。
人の子が与えられた煮物の鯛の目玉を
不思議そうに口の中で転がすように、
雛は大きな口を開けて、
親鳥に与えられた私の目玉を飲み込むだろう。
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