園芸でおなじみのN(チッ素)・P(リン酸)・K(カリウム)。肥料の3要素の黎明に触れることができるスポットが、東京のど真ん中にあります。渋谷から京王井の頭線に乗って吉祥寺方向に向かうと、駒場東大前駅を過ぎてすぐ左手、線路脇に「くの字」形をした田んぼがあります。「ケルネル田んぼ」と呼ばれる田んぼがそれです。調べてみると面白い背景を持っていました。
明治政府は日本の近代化のため、欧米から多くの「御雇い外国人」を各分野に招聘したことはよく知られているところです。そのなかの一人に若きドイツ農学者、オスカル・ケルネルもいました。ケルネルが最先端のドイツ農学を携え、駒場農学校(明治11〈1878〉年開校)に赴任してきたのは明治14(1881)年。当時、ドイツのリービヒによる「植物栄養に関する無機栄養説」(1840年)など、植物栽培におけるチッ素・リン酸・カリウムといった無機質肥料が注目され、新たな肥料研究が世界に広まるなかでの来日だったようです。
ケルネルはイギリス人農芸化学教師、エドワード・キンチの後任として、駒場農学校で肥料学や土壌学、植物生理学などを教えました。一方、人糞尿など当時、日本で利用されていた肥料の研究や土壌分析を行ったり、駒場の水田でイネの実験栽培を行うなど、日本の農学の発展に寄与しました。その実験水田が「ケルネル田んぼ」だったのです。(近代肥料学に関わる田んぼであることがわかると、どこか感慨深いものがあります。)
さて、かつて日本農業に有為な人材を輩出してきた「ケルネル田んぼ」。星霜移り、今日では筑波大学附属駒場中・高等学校に受け継がれています。学校教育の実習水田として活用され、未来を担う生徒たちの手によって田植えや水田管理、稲刈りが行われているそうです。
(協力:筑波大学附属駒場中・高等学校)
※オスカル・ケルネルの仕事は、東京大学ホームページ内「東大農学部の歴史」および併載の熊沢喜久雄「キンチとケルネル~わが国における農芸化学の曙」(「肥料科学」第9号、1986)、日本農芸化学会誌「化学と生物」(vol.51・No.8/No9、2013)に詳しく解説されています。
東大農学部の歴史/歴史写真館/資料の紹介
http://www.a.u-tokyo.ac.jp/history/galleryx.html
各種資料
『キンチとケンネル -わが国における農芸化学の曙-』(PDF)
http://www.a.u-tokyo.ac.jp/history/hiryou-9.pdf
(写真左)駒場のケルネル田圃。京王井の頭線・駒場東大前駅のすぐ近くにある。筑波大学付属駒場中・高等学校によって管理され、授業に役立てられている。稲刈りは10月18日に行われた
(写真中央)明治日本に近代農学をもたらしたオスカル・ケルネル(東京大学農学生命科学図書館所蔵資料)
(写真右)稲穂が黄金色になってきたケルネル田圃の周囲には、地元の人たちの手によるかかしが並んでいた
(元『趣味の園芸』編集長 原田)
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<11月4日メールマガジンにて配信>
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こんにちは。
返信するリービッヒの無機栄養説は無機質肥料農法の出発点であるかのように言われますが、ツンベルクやケンペルを通じて日本の農業に詳しかったリービッヒは、日本や中国の下肥を施す、いわば有機農法に感銘を受け、三要素説を唱えたのだそうです。
リービッヒは当時のヨーロッパの掠奪的農法に批判的で、三要素説は、それへの批判だったという説を唱える方もありますね。
あお@岐阜県さま
返信する情報をお寄せくださり、ありがとうございます。ケルネルの仕事を調べていて印象的だったのは、職業の違いで人糞肥料の成分がどう違うかなど、日本の肥料や土壌をずいぶん分析しているところです。気鋭の農学者として、日本の農業に関心を持っていたことが伝わってきます。
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