水が氷になる瞬間に立ち会ってもいいと思う。
それの瞬間を知ったからと言って、
その後何かが変わるわけではない。
私の心は氷にはならないし、
誰かの心を溶かしたりもしない。
私が「いま」と言う。
「い」と「ま」という音が連なって
「現在」という観念は音が発せられた瞬間に
凍結されて形になる。
「い」と「ま」の間には何があったのだろう?
その後には何があるのだろう。
「い」と「ま」の前には何があったのだろう?
時計の針は動いただろうか、止まっただろうか。
きっとこの瞬間も、世界のどこかでは
学者と名乗る人々が
私が疑問にするような現象に摩訶不思議な名前を付けて
パンの生地のようにこねくり回しているのだろう。
だけども私が知りたいのは、
誰かが付けた現象の呼び名ではなくて
その瞬間に自分が何を感じるかなんだ。
水が氷になる瞬間に、いまが今ではない瞬間に、
私は誰なんだろう。
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