空腹を抱えて帰路に着いていると、
別になんでもどうでもいいような気がしてくる。
途切れ途切れの虫の音を聞きながら、
自分の今の立ち位置について不思議に感じると、
道の傍に積まれた土嚢が有効なものに見える。
これは私の感情の決壊を防ぐ手立てとなる得るか?
何かが食べたいという思いを挟みながら
とうとうと何かの思いや考えが浮かんでくる。
********************
人が人を愛したりして青菜に虫
目覚めるといつも私が居て遺憾
この先に泉があると言って帰る
池田澄子 「たましいの話」
********************
仮暮らしの気分が抜けない。
微笑ましく暮らしているそぶりの己すら他人に感じる。
腹を満たせばこの感覚は柔らぐのだろうか。
とすれば私の私たる自我ともいうべきものは、
もしかして体内の腑の合間にあるのだろうか。
あてもない思考の果てに、新居の灯りが見えた。
あそこに帰るのは誰だ。
私か。
私って誰だ。
空腹のこのヒトか。それとも腹の中に居るこのヒトか。
別に他の命を孕んでいる訳でもなく、
軽いような重いような腑の塊をせっせと二本の脚で運んでいる。
誰だ誰だ、お前はダレだ。
会員登録をすると、園芸日記、そだレポ、アルバム、コミュニティ、マイページなどのサービスを無料でご利用いただくことができます。
はじまった花・... 2024/04/24 | 予想通り、予想... 2024/04/24 | チリンチリン(... 2024/04/24 |
随分増えたカナ... 2024/04/24 | 雨の一日でした 2024/04/24 | 久しぶりのお天気🌞 2024/04/24 |
※コメントの書き込みには会員登録が必要です。