殺風景だった道端に、緑が萌えると、
普段なら目にも留めないような植物であっても
小さな花が嬉しくて、つい歩みを止めてしまいます。
牧野富太郎(1862~1957)は、
日本という国土を覆う全ての植物に
名前がある事を知らしめた人です。
博士が78歳で刊行した「牧野日本植物図鑑」は
改訂を重ねながら、今もなお発売され続けています。
博士が命名した植物は2,500種以上。
自ら発見した新種は600種余り。
中には、亡き妻の名を冠した「スエコザサ」や
日本の心の花ともいうべき「ヤマザクラ」があります。
東京都練馬区の大泉学園という駅から徒歩5分の場所に
博士が晩年を過ごした書斎が
練馬区立牧野記念庭園記念館として残されています。
沢山の樹木に囲まれた小さな家は
現在、建物を保護する為に、
「鞘堂」と名付けられた記念館の中にあります。
http://www.makinoteien.jp/index.html
博士が研究に没頭するあまり、家計は常に火の車。
借金取りから逃れるために、引っ越しを繰り返し
渋谷区にも住んでいた事があるそうです。
憧れの牧野博士が渋谷の何処に住んでいたのかが知りたくて
学芸員さんにお話を伺ったのですが
詳細な資料が無い為、住所は分かりませんでした。
スタッフ宮内の手元にあるのは
昭和49年に発行された「新改訂学生版牧野日本植物図鑑」
大学時代に古本屋の片隅で見つけました。
前の持ち主の名前が判子で押されている横に
自分の名前を書き入れた時には
嬉しくて嬉しくて、本を抱きしめた記憶があります。
現在、記念館では
企画展「サクラで祝う富太郎の誕生日」が開催中。
博士が描いた「ヤマザクラ」の図も展示されています。
小さな自分の図鑑を開いては、
何度も眺めたヤマザクラの図の実物は、
呼吸を忘れる程、細かく、美しかったです。
庭園ではニリンソウが満開でした。
私にとって博士は憧れの存在ですが、
博士の一生を知れば知るほど、奥様の立場には立ちたくないと
つくづく感じます。
全財産が書籍や研究費につぎ込まれ、
家計を助けるために料亭を開いても、そのお金もまた研究に。
家の中は所狭しと標本のはさまれた新聞紙が積み上げられ
書籍の重みで2階の床が抜けそうになる始末。
奥様は大変だったろうなぁ・・・・・・・。
そんな事を考えながら、自分の部屋に戻ってみたら、
本棚に仕舞い切れず、遂に床を侵食しだした書籍の山が
私を待ちかまえていました。
なんだ、私は奥様側の人間じゃなく、博士側の人間だったのか。
そういや、明日のご飯代が無くなるって分かってて
本を買ってしまう事もあるな。
博士の足元にも及びませんが、植物の魅力を伝える人間に
なりたいものだと思いました。
渋谷区ふれあい植物センターさん こんばんは
返信する牧野富太郎先生 は明治の日本人なんだ
センセ 思いっきり 仕事して生きたんだね
宮内さん 言われるように
奥様は大変だったでしょう
でも 支え続けたんですね
それは 夫婦しか解からない
何かが あったんでしょうね
誇れる 日本人
こういう話を聞くと 嬉しいですね
後を継ぐ連中が生まれる要素を
潰してはいけませんね
おお!高知ではありませんか!
返信するこの間、いってきました!
牧野博士の部屋もみましたです。。
植物の魅力を今後ともお伝えください!
ポチボス様
返信するコメント返しが遅れ失礼致しました。
天才は100年に1人しか生まれないと言いますが、
牧野博士は、天才の1人だったと思います。
高知県には山一つがまるまる植物園になった
牧野記念植物園があります。
山頂の広場には、博士がキノコを手に嬉しそうにしている
銅像が立っています。
高知に行かれる機会があれば、ぜひお立ち寄り下さい。
コメント有難う御座いました。
スタッフ宮内 拝
ながとよ兄弟様
高知の記念植物園行かれたのですね。
数年前にリニューアルオープンして、
昔も面白かったのですが、さらに面白くなりました。
東京の練馬区の記念館にもよろしければぜひ。
ところで、今年のペチュニアでおススメの品種ありますか?
ハンギングに変わった色目の花を入れたいと
考えています。アドバイスを下さい!
コメント有難う御座いました。
スタッフ宮内 拝
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