初蝉と共に、幼子の笑い声が地を駆ける。
草をわけ、走る。走る。
シロツメクサの間に、身を潜めて私は彼らの姿を見つめた。
一本の棒きれが、魔法の杖だったのは何時までだったか。
一個の石ころが、宝石だったのは何時までだったか。
私にとって物の価値は、何時の間に与えられる紙屑にとって代わったか。
こうして、寝そべれば私を柔らかく包みこむ草はらこそが
私の穏やかな褥であったはずなのに。
私は私の居場所を捨てて、此処ではない何処かを、それからずっと探している。
幼いと思っていた青年が、小さな手荷物を二つ下げて
西方へと旅立っていった。
彼もまた、自らの居場所を捨て、新しい場所を探しに出たのだ。
それは自然の摂理であって、
悲しむべき事でも腹立てる事でもなく、
「そうであるならば。」と手をふり見送るしかないのだろう。
2つ葉の少年が3つ葉になった。
4つ葉になるかならぬかは、本人が決める事である。
己の握りしめたシロツメクサの葉が何枚かは、
己で決めれば良い。
私は私の持つこの葉が、
4つ葉であると信じるより他ない。
4つ葉であると言い張るより他ない。
秋が来て冬が来る。葉を落とし地に潜っても
再び萌え出るかどうかを決めるは、自分自身だ。
風にのって、幼子の泣き声が飛ぶ。
泣け。喉が枯れるまで泣け。
いつかその涙が、心を潤すだろう。
会員登録をすると、園芸日記、そだレポ、アルバム、コミュニティ、マイページなどのサービスを無料でご利用いただくことができます。
オレンジとアッ... 2024/04/24 | 実りました 2024/04/24 | 赤い花、白い花... 2024/04/24 |
咲いてきた! 2024/04/24 | 大きく育ちました 2024/04/24 | きょうもどんより 2024/04/24 |
こんばんは。
返信するこれはどこの公園でしょうか?
この写真を見たら、子どもの頃に小石川植物園で遊んだ記憶がフラッシュバックしました!!
はらっぱ、木のぼり、土手滑り、ザリガニ釣り、ドングリ拾い、落ち葉プール、思い返すととても贅沢な遊び場でしたね。
子どもの頃に出会ったささいなこと、それが自分の中で大きく育って、今の自分の生き方を決めたんだろうと思います。
なので、我が子にもまずはいろいろな体験をさせてやりたいですね。習い事とかではなく、日々の生活の中でのささやかな出会いや発見を。
と言っても親の私が興味を持たないことはなかなか難しいのですが。たくさんまかれた種の中で何が育って花を咲かせるのか、今から楽しみです。
そして、我が子を見ていると自分がその年齢だった頃のことがあれこれ思い出されます。きょうだいと笑い転げたこととか、宿題ができなくて泣いたこととか。
時と場所は変わっても、子どもというものは変わらないですね。
こんこ様これは代々木公園です。大きな枝を拾って、「クワガタ虫になった。」「戦いだ。戦いだ」と遊んでいる様子をひっそりと鑑賞させて貰いました。
返信する自分が経験した以上のことを、人は想像出来ないと思っています。想像できれば、その後はイマジネーションを超えていくだけですから、どうにでもなる。私も私の中の密やかな蓄積によって、今の自分が成り立っていると感じています。ですので、お子さんに対する思いは、同感です。(って。我が子なんて居りませんけれども。)方法と完成ではなく、きっかけを与えてあげたい。そう思いながら、訪れる子に接する日々です。
しかし小石川植物園が遊び場とは。私のきっかけの一つは幼少期に通った高知の牧野植物園でした。なにやら、親近感がわきますね。うふふのふ♪
※コメントの書き込みには会員登録が必要です。