hetayokoさんの園芸日記
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hetayokoさん  千葉県
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父が遺した椿

2020/02/21
父が遺した椿 拡大 写真1 父が遺した椿 拡大 写真2 父が遺した椿 拡大 写真3

私は球根バカですが、10年前に亡くなった父は椿バカでした。

熊本出身でしたので、肥後椿を中心に交配したり、育て方や接ぎ木の方法に色んな工夫を加えていました。
そう言えば、母の華道名のついた品種もありましたねー。

亡くなる年の春、その時はもう自力で動けなくなっていたのですが、車椅子にのせて庭の椿が見える部屋に連れて行ってあげたことがあります。
ただただ無言で長い時間、何種類もの椿の花たちをじーっと眺めていました。

ウチの庭にも25年ほど前に父から送られて来た10数種類の椿があります。
今はミニ椿が咲いています(写真1,2枚目)。椿と山茶花を交配したものだと父から聞いた気がします。

戯れに、椿3種類と常盤姫萩、キアネラを手製の壁掛け花器に活けてみました(写真3枚目)。


毎年庭の椿が咲くと、あの時の車椅子に座った父の姿が思い出されます。
黙って花を見ながら何を想っていたのでしょうか…。母も亡き今となってはもう知る由もありませんけど。

「父が遺した椿」関連カテゴリ

みんなのコメント(12)

こんにちは。

球根植物だけでなく、椿もhetayokoさんに
とって、想い出のお花なのですね。
私は育ててはいないのですが、この時期に
咲き始める沈丁花が、そんな想い出のある
お花なのです。

母の実家の玄関前に沈丁花の木があり
お花が咲くと、良い香りがしていたこと。
今、その家もなくなってしまいましたが
沈丁花の香りを感じる度、幼き日々の
記憶が思い出されるのです。

壁掛けの花器に生けられた椿、
美しいですね…。

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ゆうきさん、こんにちは。

沈丁花ですか…。
視覚的な映像よりも香りの方が、記憶を呼び覚ます力が強いように思います。
香りを感じた瞬間、お母様のご実家玄関前の風景がよみがえるのでしょうね。

私は金木犀の香りでゲロゲ…(以下、自粛)
です(笑)。

金木犀で、2days yoppa?
私は、金木犀アレルギーです(笑)
それなのに、キッチンの真ん前に大木の金木犀!
おとうに、切ってた言うんだけど、この木が盾になって家を守ってくれたと切ってくれません。

椿と山茶花の交配した花ですか?
家の「夢」も、椿と山茶花の交配で出来た花だそうですが、様子が違いますね。
家も、義父が残した椿がいっぱいあります。
私の好きな、白や絞りをおとうが切ってしまったので、だいぶ種類が減りました。

返信する

撫子さん、こんにちは。

>金木犀で、2days yoppa?
いえいえ、私が小学2年生くらいでしたでしょうか、食中毒か何かで学校を休んで寝ていた時の思い出です。3つ年上の兄が下校していてどこかで金木犀を見つけたんでしょうね。私のお見舞いにと考えたのか、ひと枝手折って持って帰り枕元で私に差し出してくれました。
その香りを嗅いだ途端、ゲロゲ…(以下、自粛)だったわけです(笑)。

というわけで、あれから50年以上経ってもあの香りは苦手です。不幸なことに私には金木犀の芳香は、「吐き気を催す臭い」なんです(涙)。

撫子さんちにも色んな椿があるんですね。ウチではちょっと油断するとチャドクガが大発生するのが悩みの種ですが、そちらはいかがですか?

チャドクガが怖いので触りません(笑)
幸い、庭にあるのは、先日の日記の絞りの椿だけなので。
他のは土手で、大木になってます。
手をかけないので、巨木です。
でも、特に大きいのはおとうが根本から切ってしまったので、小さめな乙女ばかりになってしまいました。

やっぱり湧くんですね、チャドクガ…。
その時だけでなくて、下に落ちた脱け殻や死骸が何年も刺さるとかぶれるってのがホントにイヤですよね。

おとうさんが伐っちゃうのもよくわかります。
父の形見も、複数あったものはひとつにしましたもん。

椿の思い出。
実は私の父も最後に愛でた花が椿でした。
最後を看取るべく病院から家に連れて帰った父を皆で支えて椿の花を見せました。
やはり何も言わずじっと庭を見ていました。
12月の初めでしたから赤い椿でした。可愛いピンクの侘助はまだ咲いていませんでした。
ですが記憶も曖昧になって赤い椿ではなく
父と一緒に見たのはピンクの侘助になっている時があります。😅

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弥生さん、こんにちは。

そうでしたか、弥生さんのお父様も最後に椿をご覧になったのですね。
他の人にとっては何の意味もない出来事でも、自分にとっては大切な思い出ってありますよね。
その人の仕草、表情、声とともによみがえります。
赤い椿か侘助かなんてことはどうでもいいことですよね~(笑)。

 昭和50年後、『侘助』と『姫山茶花』を掛け合わせて新品種を創る愛好家が多かったのでしょうか。
港シリーズの『港の春』など、小さくて可愛い花を作るのが夢であり、楽しみ方の醍醐味だったと思います。
椿や山茶花は、同じ仲間でありいろいろな方々が挑戦し、試行錯誤しながらそのできた種を育てる。これは、今でも最高の喜びだと思います。
私などは、交配して種が出来て開花するまでその年数、4,5年が待てないのです。もう、どなたが作っていて・・・
開花しても、元の親の薮椿だったりして・・・という考えが先走ります。 でも、夢は追いたいものですね。例え、元種に戻っても、きれいな花にならなくても。

大輪の豪華な椿でなく、一重で小さい花、小盆栽に似合う小葉での新花、やはり作りたいですね。昔から、今も、どんどん、いろいろな愛好家や育種家が交配する時代ですね。バカでなく夢追い人ですよ。meika

返信する

meikaさん、こんにちはー。

meikaさんも椿愛好者でいらっしゃるんですね。
私の父も私と同じく「超」のつくせっかち者でした。そこで種を発芽させてから花が咲くまで通常5年かかるところを、自分の方法だと3年で見られるとよく自慢していました。せっかちなので少しでも早く花を見たかったんでしょうね(笑)。
なんでも、発芽2年目の枝を台木に接ぎ木するんだそうです。その台木も何でもいいわけではなく、上の切り口をふさぐように周りからカルスが盛り上がって来てるものを使うのがミソなんだそうです。本人は、このやり方だと植物ホルモン量の関係で翌年には花が咲くんだという自説を展開していました(一応農学博士でした)。
椿の会か何かで講演するというのでスライドを作らされました。そのお蔭で私の記憶にも残っていました。

 こんばんは
 おもしろいやり方ですね。取木を根元で行う方もこの方法がありますね。
カルスは、樹のキズだそうですね、そこから根が出るのは松類だそうです。それ以外は、形成層から出根するそうです。
私どもも、何度も失敗をしながら、取木や接木を試案しています。結構、接木や取木などの実践は、花を咲かすより面白いです。
私どもは百姓の次男坊で、米や野菜づくりを手伝う合間に、何故か盆栽面に手が動いた素人盆人ですね。
植物の新しい発見をした時やその不思議さを見つけたときは、一人感動して悦に入っています。
植物のおもしろさやその知恵を見つけたら知らせてください。meika

返信する

はい、面白いことを見つけたり、何でそんなことが起きるのかわからない時など、ご連絡差し上げますね~。

私の父も農家の三男坊でした。

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