今日は、小春気分の新大阪の街です。
昨日の溝掃除で疲れ、何もする気が湧かない。
写真1 「これ、老爺柿の落果前です」
ここまで放置すると、今年の開花は無理ですね。
黒果になるまで、よく楽しんだ幼木です。
柿はシブ(タンニン)が黒色なので全てが黒いです。
ゴルフクラブ(ウッド)のヘッドにも使用されていた。
写真2 「自然の『石菖』いいでしょう」
ホント、小盆栽に役立つ『石菖』達です。
写真3 椿と石菖「こんな生け花コラボいかがですか」
もったいないので、開花ツバキを切り、
『石菖』の根元に挿してやりました。ねらいは、椿盆栽は蕾も花も、根元に低く咲かせてやりたいのです。
meikaさん、こんにちは😊
返信する(盆栽と生け花は別物だと思いますが、どちらも日本文化の代表選手ということにさせて頂いて、)西洋のアレンジメントは足し算の美学だと思いますが、日本のアレンジメントは引き算の美学ですね。
個人的な印象です🙇
実家の老柿の大木が樹上に実をつけたままでいてくれるおかげで、その真下にある南天はどれ一つ実を食べられることなく元気です。
柿の木のためを思えば、実をつけたままでは負担であったかもしれませんね。
いつもながら、とまトマトん さん
返信するコメントありがとうございます。
足し算、引き算はわかりませんが、盆栽は古く万葉集から鎌倉時代の「春日権現玄験」の書に出てきていますね。特に謡曲「鉢の木」は有名です。
生け花は、仏前に花を供える「供華(くげ)」を行っていた六角堂の僧、池坊専応が口伝で弟子たちに花伝書「大巻伝(おおまきでん)」がはじめだとか。
要するに、仏前に供える「供花」が始まりと理解しています。
特に思い出す話は、安達 曈子 さんが英国公演時に「日本人は生きた花をチョン切って、花瓶に挿すのは野蛮な文化と違いますか」と尋ねられ、答えに少し迷った挙句に、こう答えたのです。
「心の中で、すみませんと言って切ります。」講演をお聞きしたのは大学時代の大阪御堂会館でのこと(昭和42年)でした。
※もう一度、大学時代に流行したR・ベネディクト著「菊と刀」や鯖田 豊之著「肉食の思想」などを読み返したいですね。
足し算? 豪華、 多い、 多色。
引き算? わびさび、少ない 白・黄色
引き算は洗練された美、ムダをそぎ落としたという意味でほめ言葉のつもりでした。日本文化を卑下するものでは決してありません。🙇
盆栽、生け花の起源については存じませんでした。ご教授いただきありがとうございます。大きな日本文化というくくりでは一緒とはいえ、だいぶ時代が違う2つをまとめてしまうのはいけませんね。
安達 曈子さんのくだりは、文化そのものの違いを感じさせられますね。それぞれの文化はそれぞれの気候風土のもとで育まれるもので、どちらがいいとか悪いとかはありませんものね。
文中に出てくる中で「菊と刀」だけ聞いたことあるというか字面を目にしたことがあるというありさまです。詰め込み教育世代なので、テストのために暗記はしたけれど、お恥ずかしながら何一つ教養として身につけてない世代です。
先の返信で柿の木の下の南天のことを書きましたが、あのあと実家に向かい、実が一粒残らず無くなった南天と万両に再会(‘◉⌓◉’)たった10日で。人間は見るのみでおなかに入れることはありませんが、ただただびっくりでした。
アルバムにリンゴの発芽の様子を載せました。
私どもの返事、返信文で気を悪くしないでください。
返信するこちらこそ勉強不足で、足し算と引き算の意味がわからなかっただけですのでご了承下さい。
今後とも、コメント並びにご厚情宜しくお願い致します。ありがとうございました。meika
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