小春さんの園芸日記
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最後の光景涙

2021/05/18
最後の光景[i:211] 拡大 写真1 最後の光景[i:211] 拡大 写真2 最後の光景[i:211] 拡大 写真3

実家の辺りには、いわゆる生産緑地が点在します。野菜と植木を作っていますが、区民農園になっている場所もあります。来年、1992年の生産緑地法から30年経過し、生産緑地の期限を迎えます。その後は緑地を宅地に転用することが可能になるため、この光景ももうすぐ見られなくなります。土地の規模が大きいので、大型の低層マンションや商業施設、大手不動産業者が集中的に建てる住宅になりそうです。

千川上水沿いのハコネウツギ 白く開花して色が変わります。以前よりも水がきれいになって、錦鯉も泳いでいます。 
キャベツ畑の向こうはほとんど見られなくなった屋敷森です。実家の前も畑が延々と広がっていましたが、一つも残っておらず、低層マンションや新築の家が並んでいます。道幅は変わらず、交通量は数千倍ボケーっとした顔 以前、肥溜めだった場所にアウディーが停まっていますウッシッシ

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みんなのコメント(18)
  • 写真
  • 2021/05/18

そうですか…
野ツボも埋められ、緑の味わい深い風情が薄められ、東京砂漠の拡大が進行中…なんですねぇ。
道路って地域の動脈だけど、細動脈ばかりでは地域が動脈硬化を起こしかねないのに…とも感じました。
地域にも100年の大計って必要ですけどねぇ…
せめて、屋敷森だけでも生き延びてほしいですね。

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Hana-Sakasou さん
こんばんは

75年頃から農業を止めてマンションを建てる農家の方が増えて、それこそ雨後の筍のように建ちましたが、生産緑地法でいったん落ち着きました。来年以降、そこら中大規模建設現場になりそうです。

この辺りは私鉄の高架化や地下化も進まず、踏切が多いので、動脈瘤・静脈瘤・血栓… どうにもなりません。

相続税が納められないことが多く、屋敷森の一部を物納し、区が開放しています。『ケヤキの森』『憩いの森』などの名が付いていますが、大きさは元の林の三分の一、十分の一といったところです。屋敷跡に中層集合住宅を建て、森をわずかに残して住人専用の庭にしていることもあります。その場合、住人以外は立ち入り禁止です。

木や畑を増やせば、温暖化にも歯止めがかかるのですが…

小春さん、こんばんは。
私が上京した時には保谷市(今は西東京市ですね。味気ない名前です・・)に住んだのですが、こうした畑があって心が慰められました。雑草ひとつなく、見事に揃った野菜が育っていて、職人芸だな~と思った記憶があります。
多摩ニュータウンとかはゴーストタウン化しているとのことなので、デベロッパーにはそういうところを再開発させ、都心に残された貴重な緑地は国なり都なりが押さえて「国民の財産」として残すべきですよね。せっかく千川や野川、玉川上水といった水系が復活しつつあるのに、緑の絶対数がジリ貧というのも勿体ない話です。

ドイツもきっとそうでしょうが、シンガポールの街中の緑は溢れんばかりです。川は澄みきっているわけではありませんが、カワウソ、ウォータードラゴン、カメ、鷺やクイナなどの水鳥がウォーキングしているだけで普通に見られます。元々の植生をそのまま残した公園や遊歩道が随所にあります。
Hana-sakasouさんの仰る「100年の大計」の結果だと思います。日本はこれから100年かけて、その場所に到達できるでしょうか・・。

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Galanthophile さん
お早うございます。

保谷にお住まいでしたか!実家から300メートルほどで保谷市に入ります。元々栄えていた中野辺りよりも、練馬や田無の方が乱開発されている気がします。家は井戸水でしたが、宅地が増えて枯れました。

畑や林が無くなり、エアコンの室外機が並ぶと思うと、温暖化対策宣言なんて、空々しくて、聞いていられません。

ケッペンの分類では東京は温暖湿潤、シンガポールは熱帯雨林気候ですが、シンガポールの方がずっと涼しく、過ごし易かったと、駐在だった知り合いが話していました。やはり緑を大切に残しているのですね。ベルリンは総面積の三分の一が森と湖という、恵まれた環境です。19世紀末には都市計画が行われ、道路の広さや街路樹の多さは誇れます。旧西ベルリンは、高度成長期にもそれほど発達出来なかったのですが、今となっては良い方向へ向かったと思います。

東京にもこんな広々とした畑があったのですね。
これがなくなっていくのですか。
此の景色がなくなるのは、残念ですね。
そんなに家を建ててどうすのですか。人口が減ってるのですからね。空家がどんどん増えていきますね。

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かんちゃん
お早うございます。

以前は屋敷森と周囲の畑というのが点在し、その間に1950~60年代の新興住宅地がある、という感じでした。推理小説作家の松本清張さんが近所に住んでおられ、土地勘があるので、作品の中でこの辺りの畑に死体を遺棄しています。

今は中層マンションや住宅が密集していますが、所々に広々した畑も残っています。野菜を細々作っても、相続税など払えませんから、来年以降はマンションか駐車場でしょう。

せめて上水沿いの大きな畑だけでも残して、原っぱにしておいて欲しいのですが… 区が児童公園を作るのは勘弁してほしいです。児童公園は都市にしては数多くありますが、どこも整備され過ぎているのです。子供が土に触れないように、地面も小粒の砂利や柔らかい床材で覆ってしまい、遊具はどこもほとんど一緒。雑草も生えず、虫もいません。

そうですか~
最後の景色なんですね~
3枚目なんか竹林が見えるしまさに松本清張に
死体を埋められそう~ウッシッシ
こういう広大な緑は残してほしいですよね

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ボタンちゃん
こんばんは

どの屋敷林もケヤキや椿を植え、端の方は竹林です。清張さんは武蔵野の趣が気に入っていらしたようで、のちに有名になって、杉並の高井戸に自宅を新築されるまで、関町や石神井に住んでおられました。清張作品には簡単な手書きの地図が入ったものもあり、『ああ、あそこ曲がった所ね』なんて言う感じで読みます。

残してほしいですが、売るな、とは言えません。次の世代になると相続税支払うために売ることも多いと思います。物納された林はせいぜい20坪、『憩いの森』と言われても、どう憩えば良いのか…冷や汗

小春さんこんにちは

こんな景色が身近にある幸せ、これは一旦失くすと再生出来ません。切なくなります。

日記を拝見しつつ、学生時代を思い出しています。
東京に居る時は玉川上水縁の下連雀に4畳半アパートを借りて下宿していました。当時は大学(ICU)のある大沢付近は武蔵野の雑木林が残り、大学行きのバス路には田んぼや畑が広がった本当に長閑な土地柄だったです。数年前に主人と大学を再訪問した際には殆どが宅地転用されていて記憶とのギャップが大きかったです。最寄りの三鷹駅もあまりに変わってしまって駅構内で迷子になる始末、案内するどころでは無かったです。40年前ですから…そりゃ色々変わるでしょうね。仕方無いです。

ところで、お母様のご様子は如何でしょうか。
小春さんが日本に留まっておられるということは、現在小康を保っておられるのかなと思ったりしています。

私の母も1人暮らしですが、今年に入って健康状態が思わしくありません。今すぐどうこうという訳ではありませんが様子を見に一時帰国するつもりでいた5月初旬、フロリダ州がイギリス株の汚染地域の指定されました。結果、帰国後の自主隔離規定が厳しくなりました。2週間の休暇をもらって日本に戻っても、何の手助けにもなりません。
今は1人住まいがいよいよ無理になった時に備えてネットで情報を集めて母に送っています。10年以上前に嫌がる母に無理矢理iPadを持たせた甲斐あって、同時進行でこちらの様子も共有しています。

小春さんはお母様と良い時間を共有される事を 心より願っています。
何か、慰めになる言葉をお掛けしたいのですが、いやいやしっかり者の小春さんには不必要かと思ったり、そんな気持ちを持つのは余計なお世話かえって不遜かと思ったりしています。気持ちだけですがほんの少し寄り添えればと願っています。

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セミノル・ランさん
お早うございます。

心温まる優しいコメントをありがとうございます。二月にはあと数週間という状態でしたが、私が来てから持ち直して、医者が驚いています。認知症の被害妄想が酷く、自分が病院で拘束されていると思込み、看護婦さんも大変だったようです。今は状況が把握できており、引き続き緩和ケア病院でお世話になっています。他の病院や、介護施設のほとんどが、コロナで面会禁止か、オンライン、会えても応接室を予約して最長15分という状況ですが、今の病院では病室で60分の面会が予約なしで許可されています。費用は掛かりますが、介護施設ではモルヒネを保管してもらえない、という問題があり、自宅介護ではお風呂や階段の問題があり、24時間二人以上看護する人がいなければならず、非現実的… 自宅に帰りたがっているので、数日でも連れ帰りたい反面、コロナ禍でベッド数がひっ迫しており、他の病院から、コロナ以外の患者さんのための空きベッドの問い合わせが後を絶ちません。一度退院してしまったら、次回は入れそうにありません。車いすで外へ散歩に出たいのですが、鼻腔の癌で、顔に頭蓋骨の中が奥まで見えてしまうほどの穴が開いてしまい、外へは出たがりません。

iPad が使いこなせるお母さま、素晴らしいですね。スカイプで連絡が出来るように、十数年前にPC を買ったのですが、病気をしてからはほとんど使わなくなり、タブレットで連絡し合うのは断念しました。

ICU で学ばれましたか!最近、ICU に隣接する野川公園内の自然観察園を発見し、よく散歩に出かけます。家の近くから調布保谷線という、広々とした都道が伸びており、都内では珍しい広い自転車専用レーンが整備されています。ママチャリで40分弱で着きます。野川一帯は、40年前の田園風景を取り戻すことを目指しており、本当にきれいな所ですね。川で魚すくいや、虫捕りをするお父さんと子どもたちを見かけます。野川は三鷹や調布市内の下流しか知らなかったのですが、東京の住宅地にこんなところがあったとは、驚かされます。昨日も野川沿いに上流まで走りました。上連雀のちょっとした緑地でカッコウが鳴いていて、仰天!

立野町辺りは駅から離れているので乱開発からやや取り残され、生産緑地や屋敷森がいくつも残っています。吉祥寺や三鷹、西武線にも近く、幹線道路も多いですから、大手不動産業者が目を付けないはずがありません。23年以降は一変してしまいます。『ついでだ~』と言わんばかりに、家にも家を売らないかと、数日おきに電話がかかって来ます。母の家ですから、不愉快なものです。

小春さん こんばんは

お母様の現在のご様子をお知らせいただき有り難うございました。知ったからと言って、私に何が出来るわけではありませんが お母様と小春さんの気持ちが合い通じる時間を少しでも長く持たれる事を心より祈っています。

私は父を癌で亡くしました。父50歳で食道癌から始まり3年間頑張った後力尽きました。最期のときは 私自身はアメリカにいて切迫早産の状態だった為 身体を動かせず、臨終そして葬儀は異国の地から気持ちだけで見送りました。縁起でも無いことをと思われたら申し訳ありません。意図は 人の想いは伝わるとの確信です。小春さんがコロナ禍の困難な状況下でお母様に会う為に一時帰国されたお気持ちはお母様に伝わってそれは生きる力に変わっている気がしています。
小春さんの様に強く賢く優しいお嬢様を持たれたお母様は祝福された幸運な方だと思います。

誤解ある表現でごめんなさい、ICUは卒業していません。ICUは人文科学は良いのですが自然科学の分野は薄っぺらです。これじゃ…との思いが募り総合大学に入り直そうとしました。しかし問い合わせに対し日本の国立大学は入試を受けて下さいとの一点張り。それなら、とアメリカの大学にアプリケーションを出したところ私立・公立を問わず出した全ての大学が受け入れてくれました。それに先立って、何故アメリカに留学したいのか個人的な問い合わせがあり、当方の説明を真摯に考慮してもらえた上でICUで取った単位も認めて貰えたので3年編入扱いでした。
選択肢とセカンドチャンスを与えて貰ったので死物狂いで勉強しました。(UCの授業料が高かったせいもあります。私が在席当時ICU学費は信じられない程安く年間20万もしなかったと思います。はっきり覚えていませんが 当時新聞配達してその給料内で払えましたから) 結局学位は留学先のカリフォルニア大学(UC, Riverside)から受け取りました。その後は帰国せずに、同大学大学院(UC, Irvine)に進みそこでクラスメートだった主人と出逢って今に至っています。

脱線しましたが、こういう状況だったので、ICU在学中は大学周辺も折角の美しい環境: 野川も自然公園も深く知る事無く時が過ぎてしまいました。勿体ないことをしたものです。“耳があって聞こえず、目があって見ず…” そんな表現が何処かにあった気がしますが、当時の私ですね。ちょっと心に余裕を持って見回せば周囲にあるのですけれど。ホント“下を向いて歩こう”です。

いつか再訪問する機会が有れば、小春さんの日記を手がかりに改めて大学周辺を訪ね歩きたく思います。

連日の日記のご様子からは理知的なメッセージと共に素晴らしい自然の画像を数多く受け取っています。でもお母様を気遣い気を張り詰める日々でしょう。何か出来る事無いものか。

mo'mo さん(ごめんなさい、うっかり以前のHN でお呼びしてしまいました)

再度の暖かいメッセージに感激しております。今の母を見ていると、人間、心の持ちようで、これほど変わるのかと、びっくりしています。入院当初は、認知症による被害妄想が特に酷く、医師や看護師に当たり散らしていたようで、申し訳なかったのですが、今は何をしていただくにしても感謝しています。今の私の悩みは、何を食べさせてあげられるか、です。母自身、家庭料理から懐石料理までこなす、料理の達人で、とにかく口が奢っているので、下手なものは持って行けません。最初はお弁当を買って持って行っていましたが、滞在を伸ばすことになってからは調味料、乾物などを買いそろえ、作っています。顔に空いた穴には絆創膏も貼らず、頭蓋内が吹きさらしの状態という、壮絶な有様ですが、有難いことに内蔵への転移が無いので、唯一の楽しみである食べることを堪能しています。…が、私のレパートリーではそろそろ限界です。

アメリカの大学の、試験よりも学びたい姿勢を重視するところが素晴らしいです!死に物狂いで何かに打ち込めた人は幸せですね。主人は、出身の村に高校が無く、次の高校がある町は40キロ離れています。義務教育を終えたら手に職をという土地柄、中学を出てから親元を離れて炭坑に潜り、坑内の電気工見習いをしていました。何回シャワーを浴びても臭いまでは取れず、自分はきちんと勉強して何かになりたい、と逃げ帰りました。その後、単科大学で物理工学を学んで卒業していますが、それでも飽き足らず、総合大学へ入り直しています。単科大を出ていると、総合大に入学できます。生物を二年間学んだ時点で、当時医師不足が深刻だった、西ベルリンの医学部の籍がなんと!くじ引きになり、ベルリン自由大学に移籍し、中卒で受験勉強無しで医者になったという訳です。村ではラテン語は習っていませんでしたが、生物学部時代に最低限のラテン語と解剖学を学んでおり、その単位は認めてもらえたそうです。兎に角、六人兄弟全員が自給自足家庭からの脱出をそれこそ死に物狂いで図り、それぞれ航空工学博士、鉄道技師、ジャーナリストなどになっています。ドイツは学費は無料、最近は半年で315ユーロ掛かるようになりましたが、学生証で交通機関乗り放題になったので、実質は定期代です。生活費は親の収入が少ない場合、出世払いで国から奨学金を受けられます。ドイツにしてもアメリカにしても、入学は簡単、卒業するのはハードルが高い、というシステムですから、良い成績で卒業しようと思ったら死に物狂いですね。

話は全然違いますが、ヤマザキパンの薄皮クリームパン(一口サイズです)に抹茶クリーム+粒あんという新作があり、おやつに持って行ったら、それが本当に美味しくて感激してくれました。ところが、以来どこを探しても売っていないのです。今朝、ヤマザキパンに電話で問い合わせたら、今日はどの店にいくつ出荷したかを折り返し知らせてくれました。流石!日本企業、見事な接客です!区内全域でもたったの二ヶ所、計7袋しか出荷していないとのこと、これから往復12キロ、菓子パンを買いに行きます冷や汗

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こんばんは

あらま、一口パンを求めて12キロの道のり踏破‼︎
お母様が美味しく召し上がった食品を求めての行動力や凄し。それにしても区内全域でたったの7個しか出荷していないとは意外です。抹茶クリームと粒あんと聞くと人気がありそうですが。
私だったら全部買い占めて冷凍するかも(^^)

小春さんのご主人とそのご家族のお話を伺うと、苦学って言葉が浮かびます。しかし本当に学びたい若い人にその場を与え経済的にサポートするシステムがあるドイツは素晴らしいですね。大学は義務教育では無いので本当に勉強したいとの強い思いがある人こそゆくべきです。
自分の行く道を選び、それに向かって努力は惜しまない、エネルギーの塊の様な御家系ですね! 素晴らしいです。

mo'mo さん
お早うございます。

メールアドレス、ありがとうございます。早速登録し、コメントは一旦削除しました。

抹茶クリーム+粒あん、入手できました。7袋のうち1袋です!

高専や単科大からの総合大入学は第二の教育道と呼ばれています。親の学歴が子供の代にそのまま反映する、というのが長年の問題でしたから、それに対処するための方法です。長兄は航空工学の道に入って教授にまでなりましたが、今の恵まれた学生に対して厳し過ぎるのです冷や汗 急激に成績が上がった学生がいたら、私達家族がワイワイ言ってたしなめたせいですあっかんべー 両親が医者で、自分も医者になったという方は、豊かな家庭に育ち、詩歌や絵画、ピアノが弾けたりと、一般教養も豊かですが、あの田舎の寒村では望むべくもないことです。義父が次男坊で、農家や畑を継げなかったことや、二次大戦で捕虜になり、帰還してからは食べて行くのがやっと。馬車馬の如く働き続けた義母は、さらに貧しい小作の娘。当時、農家と小作の子が結婚するというのは考えられないことだったそうです。その背景が無ければ、今のあの兄弟はいません。

返信する

おはようございます。

御主人方のご兄弟もご紹介していただきありがとうございました。
お兄様は主人と話が合うかも知れませんね。現在の主人の趣味はモデルグライダーの翼のデザインです。なんだか1900年初頭に逆行してライト兄弟がやっていた事を始めているようにハタで見ていて思うのですが、せっせと“飛ばない” 飛行機の翼を作っては広場に出かけています。“私の紙飛行機の方が飛ぶね”と嫌味を言って嫌がられています(笑)。

ところで、ドイツ人は居ませんでしたが、学生の中に東欧からの留学生がいたので話を聞く機会がありました。小春さんのメッセージと重なる所があります。

mo'mo さん

グライダーの翼!良いですね。父と私は工作が大好きだったので、竹ひごを曲げて翼を作り、半紙を貼ったゴム飛行機や、ラジコンの飛行機や船をよく作りました。

でもモデルグライダーで良かったです。主人は以前、ハンググライダーをしていました。お金を借りるにあたって、銀行と生命保険会社から止められましたわーい(嬉しい顔)

小春さん、お母様お幸せですね。黒ハート
弟さん(でしたか?)も感謝していらっしゃると思いますよ。
コロナ禍では、もう開きなおって、じっくり腰を落ち着けるしかないでしょうが、お母様にとっては幸運なことでしたね。
それに、小春さんが長期にわたり家を空けても良いくらい、お子様が大きくなられていることも、良かったですね。

「悔いのない介護を」なんて言われる方もいらっしゃいますが、悔いのない介護なんて、実の親子では有りえないと思います。
ただ、小春さんにお勧めしたいことは、しっかりお話をし、これまでの様々なお母様の頑張りを認め、何かにつけ、褒めて差し上げることだと思います。
私がこんな事を申し上げるまでもなく、賢明な
小春さんなら既に実行しておられるとは存じますが・・・
私の後悔はこれに尽きます。
声が届かなくなってから「よく頑張ったね」と頭を撫でても・・・ボケーっとした顔
104歳で亡くなった母は、最期の5年間は我が家で過ごしました。高齢による、幻覚症状も少し見られました。88歳でワープロを習得し、孫たちに手紙を送っていた母でした。

最後になりましたが、病院への行き帰り、お買い物の行き帰り、どうぞ、事故に遭いませんように、お気を付けください。

あっ、薄皮のクリームパン、食べてみたいです。
田舎にはないのかな。うまい!わーい(嬉しい顔)

返信する

雪媛さん

兄がおります。年子なので、お人形を背負ってチャンバラ美容院などをして、いつも一緒に遊んでいました。三月末に新横浜へ転勤になり、中野の自宅から通勤しています。遠過ぎて、会社から病院に回れなくなってしまいました。

認知症と薬の副作用で幻覚が見えたり、話が混乱していたりすることがありますが、私と話をするとすっかり落ち着いて、我にかえります。脳神経の分野なのでしょうけれども、不思議です。コロナで、ほとんどの病院が面会禁止かタブレットでオンライン、介護施設では応接室を予約して、最長15分の面会という所が多い中、時間内であれば予約無しで病室で60分面会出来るのは、有難いです。時間制限が無ければ、車椅子で散歩に連れ出したり、一度だけで良いので、数時間、家を見に行ったりできるのですが… 仕方がありません。

88歳でワープロを取得!お母さま素晴らしいです!

ありがとうございます。最近、自転車のマナーについて、メディアでも盛んに放送しています。自転車は基本的に車道だそうですが、幹線道路の車道に塗装された自転車レーン、バスやトラックに自転車を除けろというのは無理な話で、恐ろしくて走れません。それで皆、歩道を走りますが、何よりも逆走する自転車が多過ぎて!特に電動アシスト付きの自転車、前後に子供を乗せ、かなりのスピードで歩道を逆走します。自転車は車道を走って、と『お願い』する前に、まずは右側通行している自転車を取り締まってもらわないと!

薄皮クリームパンシリーズ、甘さ控えめのクリームや餡がぎっしり入っています。皮が本当に薄く、膝の皿サイズが丁度良いです。

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