アサガオに日中友好の思いを込めて
花に人の歴史あり。
家族の思いとともに長い時間と場所を旅したアサガオが、兵庫県西宮市の関西学院大学キャンパスで咲きました。愛新覚羅溥傑・浩夫妻が愛した、赤紫に白い縁どりのアサガオです。
ラストエンペラーとして知られ、その後、満州国皇帝になった愛新覚羅溥儀。愛新覚羅溥傑はその弟でした。溥傑は1937(昭和12)年4月、日本の嵯峨侯爵家の令嬢、嵯峨浩と結婚、やがて慧生(えいせい/長女)と嫮(こ)生(こせい/次女)という二人の女児が誕生しました。
しかし、平穏な時間は続かず、終戦とともに家族4人を待っていたのは別離と流浪の日々でした。
特赦により溥傑が一人の市民として暮らすことができるようになったのは1960(昭和35)年12月。北京・北海公園内の景山で庭師として働くことになったのです。知らせを受けた浩は溥傑と暮らすべく、1961(昭和36)年5月、北京に旅立ちました。そのとき日本の思い出として携えていたものの一つが、アサガオのタネでした。(家族4人が過ごした波乱に富んだ日々は、ノンフィクション作家・本岡典子さんが2011年に著した『流転の子~最後の皇女・愛新覚羅嫮(こ)生』に詳細に記されています。)
溥傑と浩は紫禁城の西北、北京の護国寺街の家で暮らしました。本岡さんによれば、溥傑が好んだバラに加え、スミレ、スズラン、ヒマワリ、コスモス等々、季節の花に囲まれた生活でした。その後、浩は1987(昭和62)年、溥傑は1994(平成6)年に亡くなりますが、両親が愛して育てたアサガオは次女の嫮(こ)生さんが日本に持ち帰り、日中友好の思いを込めて育ててきました。
さて、2014年9月、創立125周年記念事業として関西学院大学博物館が開館しました。他方、関西学院大学卒業生の本岡さんが嫮(こ)生さんから資料の保存について相談を受けていた経緯もあり、2013年、本岡さんなどの仲介で愛新覚羅溥傑・浩と家族の資料は関西学院大学博物館に寄贈・寄託されました。
54年前、浩とともに中国に渡り、北京で咲いた赤紫に白い縁どりのアサガオ。同じ花が今、キャンパスで咲いている光景を見るとき、アサガオを守り育てた家族の思い、人々の絆の深さを感じずにはいられません。
(*)写真提供:本岡典子さん
(元『趣味の園芸』編集長 原田)
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【園芸LOVE 原田が行く】は、「みんなの趣味の園芸」スタッフであり『趣味の園芸』テキスト元編集長の原田による園芸エッセイです。