ムラサキハナナが来た道~路傍の花と歩んだ市井の人々の物語
井の頭線の土手斜面で盛り上がって咲く紫色の花の大群落を見つけ驚いたのは、小生が新入社員の4月でした。
――「何だろう!? この花は??」
小生よりもずっと以前、同じ体験をして興味を抱いた他社の先輩編集者がいました。その人の名は細川呉港さん。半世紀後、書籍『紫の花伝書』(集広舎、2012年)を上梓しました。
細川さんと紫色の花の出合いは、彼が大学生活を始めるために上京した1964年春の千駄ヶ谷駅付近。ここから彼の探求が始まります。
そして出版社を定年退職後、本格的な取材を再開、1冊の本に結実しました。紫色の花の名前はオオアラセイトウ(Orychophragmus violaceus)、あるいはムラサキハナナ、諸葛菜、二月蘭、紫羅蘭、花だいこんと、いろいろな名前で呼ばれます。
細川さんは点在するムラサキハナナの記憶をつなぎ合わせ、その伝来ルートを浮かび上がらせていきます。
明治生まれの陸軍薬剤少将、横浜でアメリカ軍の港空爆を見ていた青年、戦後日本に亡命した満州国政治家、蘭伯爵とも呼ばれた満鉄総裁、そして日本女子大学を卒業した満州開拓女塾の女性教師......。
中国で美しく咲くムラサキハナナに魅せられ、日本に広めようとした人々の営みは、70年前の戦争も絡み、交錯しながら起伏に富んだ人間ドラマを描いていたのです(細川さんはまだ他ルートもあるかもしれませんと語っていました)。
これに加えて、地道な取材活動を重ね、ムラサキハナナの道を辿った著者の細川さん。錯綜して薄れゆく事実と記録を整理し、再び撚り合わせる作業の大変さは、新聞記事の切り抜きや資料を貼り付け、分厚くなった取材ノートが物語っていました。
「花に人々の歴史あり」――若い頃、抱いた「紫色の花の疑問」を解決しようと手に取った1冊の本。そこには市井の人々の昭和史が詰まっていました。
(元『趣味の園芸』編集長 原田)
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【園芸LOVE 原田が行く】は、「みんなの趣味の園芸」スタッフであり『趣味の園芸』テキスト元編集長の原田による園芸エッセイです。