「盆栽村」の90年――伝統芸術をどう受け継ぐか
いよいよ夏休みです。
夏休みというと思い出すのが「自由研究」。 小学生の頃、あれこれ考えたものです。
さいたま市にある大宮盆栽美術館はこの夏、子どもたちに盆栽体験をしてもらおうと、ワークショップや盆栽を知る展示を用意しています。
世界盆栽大会(2017年4月27~30日)を控え、盆栽をテーマにした自由研究も面白そうです。
たとえば「盆栽村」の歴史。以前、ある盆栽園の取材時に聞いた話と大宮盆栽美術館の資料を重ねると、伝統芸術と近代化の相克のようなものを感じます。
「盆栽村」が現在の場所に誕生したのは1923(大正12)年の関東大震災がきっかけでした。震災後、現在の文京区千駄木の団子坂辺りにあった盆栽園は、植物にとってよりよい環境と広い土地を求め、工業化や都市化が進む都内から「盆栽村」に引っ越しました。
当時の大宮町と大砂土村が接するこの地域は、松林が広がっていたそうです。「2階家は作らない」、「盆栽を10鉢以上持つ」、「門戸を開放する」、「家の囲いは生け垣にする」――移住してきた盆栽園の園主たちはユニークな住民ルールを共有し、魅力のある「盆栽村」を目指しました。
次第に「盆栽村」は充実、1936(昭和11)年には30数園を数えるまでに至りました。やがて一帯は1940(昭和15)年の市制施行で「大宮市盆栽町」に、2003(平成15)年のさいたま市誕生で「さいたま市北区盆栽町」となりました。
誕生して90年余、時代の波は「盆栽村」に押し寄せていました。盆栽園には再び都市化・宅地化が影響し始めていたのです。世代交代のなかで後継者難の問題、あるいは相続税の問題から、盆栽園は次第に姿を消していきました。最盛期は30数園を数えた「盆栽村」は、今や6園に減ってしまったのです。
生きた芸術といわれる盆栽。先達の努力の結果、「BONSAI」として世界から注目される一方、盆栽という伝統芸術をどう受け継ぐか、「盆栽村」はまたも難題に直面しています。
取材協力:大宮盆栽美術館
(『趣味の園芸』 シニアエディター 原田)
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【園芸LOVE 原田が行く】は、「みんなの趣味の園芸」スタッフであり『趣味の園芸』シニアエディター・原田による園芸エッセイです。