ポピュラーなのに人気がなかったアジサイ...川原田邦彦さんにアジサイについて聞いてみた!<前編>趣味の園芸6月号こぼれ話
ウェブサイト「みんなの趣味の園芸」だけで読める「テキストこぼれ話」、今月は6月号特集「アジサイ」に関連して、アジサイ特集で講師を務めた川原田邦彦さんにインタビュー。
編集部(以下、編):川原田さんはアジサイにとてもお詳しいですが、やはり幼少のころからアジサイに触れていらしたんでしょうか?
川原田(以下、川):もちろん身の回りにアジサイは植わってはいました。でも、1980年代に造園や栽培の仕事をはじめたころは、ガクアジサイとヤマアジサイの違いも知らなかったんですよ。
川原田さんの青年時代
編:川原田さんにもそんな時期があったんですね。
川:当時からアジサイは梅雨時期の風物詩ではあったんですが、その頃は今ほど品種もなかった。ピンクに咲いたりうすい水色に咲いたりする、品種名もない在来種のガクアジサイがあるくらいのものでした。
1980年代の中頃、園芸雑誌に登場したアジサイコレクターの山本武臣さんがヤマアジサイを紹介している記事を見つけたんです。その記事の中では、 '黒姫'、'七段花'、'舞妓'、深山八重紫'などが紹介されていました。
左上から時計回りで、'黒姫'、'七段花'、'舞妓'、深山八重紫'
川:なにしろ、先ほど言ったようにアジサイといえばピンクと水色くらいしかなかった時代です。そこに、目を見張るような鮮やかな青や紫の花色、目を引く八重咲きなどがでてきたんですから、一気にアジサイにのめり込みましたね。
編:どれも今やおなじみの品種ですが、そのころに登場した品種なんですね。
川:なにしろ、あの'クレナイ'もまだ登場してなかったくらい。
'クレナイ'
編:今だと何百という品種があり、定番の花としての人気もありますが、そうなる前夜という時期ですね。
川:80年代のアジサイはまだ夜明け前だったんです。 ありきたりのアジサイしか知らなかった私も、これはスゴい!と驚いて、すぐにヤマアジサイを探し始め、2〜3年のうちに数十品種が集まりました。
編:精力的にコレクションされたんですね。
川:自分で見つけて買うのもあるんですが、まわりの人に「ヤマアジサイがすごい!」なんて言ってまわっているうちに誰かが譲ってくれたり。 いつの間にかふえちゃう。
編:一鉢買うと、いつの間にかほかの鉢がふえる。一般の家庭園芸家にもよくある現象ですね。
川:先ほどの山本さんの講演を聞きに行って、ヤマアジサイを集めていることを話して、コレクションを分けてもらったこともあります。
当時の山本さんは各地のヤマアジサイを集めたり、植物園で持っている品種を分けてもらったりして、300品種ほどを集めていたはずです。
そのときはアジサイの話をいろいろと聞いて、2品種を分けてもらっただけでしたが、その後も集め続け、現在では650〜700品種が私の手元にあります。
そうこうするうちに、1980年代の後半からヤマアジサイの人気が出てきました。
編:ガクアジサイではなくヤマアジサイから人気が出たんですね。
川:人気といっても、あくまでもマニアの中での人気。アジサイを売っていると、一般家庭で人気があるのはやはりガクアジサイ。店頭に100鉢アジサイを並べるなら、50鉢はヤマアジサイでもいいけれど、50鉢はガクアジサイを置いておかないといけない。
どちらか一方だけでは商売にならなかったんです。
国内でヤマアジサイの人気が高まるとともに、海外で育種された手まり咲きのアジサイが次々と国内に入ってきて、1980年代の後半から1990年代の前半にかけ、アジサイ全体の人気が急速に高まっていきます。母の日に贈る花として使われるようになってきたのも、この時代からだったと思いますよ。
編:アジサイ人気の高まりと、現在に至るまでのアジサイの変遷。川原田さんが考えるアジサイの未来について後編で伺いましょう。
★川原田邦彦(かわらだ・くにひこ)
1958年、茨城県生まれ。造園、庭木花木の生産などを広く行う。特にモミジ/カエデ類、アジサイの仲間についての造詣が深い。近著に『NHK趣味の園芸 12か月栽培ナビ⑨ アジサイ』。
『趣味の園芸』テキストの特集に関連して、担当編集者による講師へのインタビューなどをウェブ限定で公開します。(毎月2回更新予定)