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万葉人の心をとらえた異国の花、ウメ

万葉人の心をとらえた異国の花、ウメ
撮影:蛭田有一

万葉人が野に出て愛で、歌に詠んだ花々。日本独自の植物文化をもとに見つめ直します。今回は中国原産の花、ウメ。万葉人の憧れだった花が日本人の生活に根づき、愛されるようになった理由と魅力を考えます。教えてくださるのは、園芸研究家の長岡 求(ながおか・もとむ)さんです。

 

*  *  *

 

『万葉集』で2番目に多く詠まれた花

 

冬の終わりに白やピンク、赤などの清楚な花を枝いっぱいに咲かせるウメ。その馥郁(ふくいく)たる香りとともに、春の訪れを告げる花木として長く親しまれてきました。

 

元号の「令和」が『万葉集』(8世紀後半)の「梅花(うめのはな)の歌三十二首」の序から採られたことで、改めて万葉の花、ウメが注目されました。『万葉集』で詠まれた花ではハギに次いで2番目に多い約120首。万葉人に愛された花といえるでしょう。

 

原産地は中国の中南部とされていますが、万葉の時代には外来の植物として珍重され、身近に植えて、観賞され始めていました。

 

日本に渡来した時期にも諸説があります。奈良時代の遣唐使のころともいわれますが、弥生時代の遺跡から遺物が発見されていることから、稲作の伝来と同じ時期までさかのぼると考える人もいます。

 

文人たちの花から庶民の花へ

 

日本で最初にウメが描かれたのは、『万葉集』より少し前の漢詩集『懐風藻(かいふうそう)』(751年)です。紅梅が文献上で現れるのは後年の『続日本後紀』(869年)で、万葉時代のウメは白花だったと想像されます。

 

室町時代には庭園などで観賞目的に栽培され、江戸時代に入ると『花壇綱目』(1681年)で53種類、『花壇地錦抄』(1695年)で44種類と、品種も多く記載されるようになりました。江戸時代後期には庶民の間でも早春に鉢植えでウメの花が楽しまれ、江戸周辺には観賞のための梅林がいくつも生まれました。

 

サクラが日本の花として親しまれる一方で、ウメは日本に根づきながらも、中国文化とつながる風雅な花であり続けました。

 

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テキスト『趣味の園芸』2021年2月号より

 

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