歴史探訪 日本初の植物貿易会社「有限会社横浜植木商会」が生まれた日
園芸の視点から改めて日本の歴史を眺めていると、興味ひかれるものに出合います。
幕末、アメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスとの間で交わされた安政の5か国条約。開国をめぐる騒動は幕末もののドラマでおなじみですが、この条約は日本の近代園芸にも重要な影響を与えていました。
この条約によって日本は横浜、神戸、長崎、箱館、新潟を開港しました。加えて、5か国の外国人が開港場の市街地に、一時的に居住したり滞在したりすることも始まりました。
横浜、神戸、長崎の場合、日本人の居住区とは区分けされた、居留地と呼ばれる地域が居住する場所として設けられました。横浜の場合、現在の中区山下町から山手町付近が居留地でした。そして、その居留地で居留地貿易と呼ばれる交易活動が行われたのです。
居留地という形態は明治32(1899)年まで続きましたが、その間、外国人の活動は居留地内に制限され、居留地外で商品を売買することもできませんでした。日本国内を旅行することも許されませんでした。
一方、当時、日本を訪れる欧米の人々にとって、日本の植物は大変、注目の的でした。ロバート・フォーチュン『幕末日本探訪記』など、その様子がよく記されています。巣鴨や駒込など園芸商の多い江戸、そして船が発着する横浜。港が近い横浜居留地の外国商人が、日本の園芸植物に目を向けるのは当然の成り行きかもしれません。
さて、江戸の園芸が近代園芸にどのように引き継がれていったのか、知る手掛かりになる書籍『百花繚乱「横浜植木物語」』がこのほど刊行されました。居留地貿易で行動が制限されている外国商人に代わり、園芸植物の仕入れや取引に携わっていた植木屋・鈴木卯兵衛が、日本の園芸植物の海外交流を日本人の手で行うべく、明治23(1890)年、日本初の植物貿易商社である「有限会社横浜植木商会」を興した経緯が記されているのです。
関税自主権や領事裁判権の問題など、不平等条約として明治政府を悩ませた条約締結。しかしその条約が他方、近代園芸の展開に貢献する横浜植木の創業の契機になっていたことを知るとき、歴史の巡り合わせの不思議を感じずにはいられません。
(写真提供:横浜植木)
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【不定期連載】 園芸LOVE 原田が行く
「みんなの趣味の園芸」スタッフであり『趣味の園芸』シニアエディター・原田による園芸エッセイです。