1.枯れた白玉椿の木
高さが3メートル以上の樹齢60年。
横浜の自宅で毎年たくさんの真っ白い花を咲かせてくれていました。
残念ながら肥料をあげて、頑張れと励まし続けたのですが力尽きたのか。
枯れてしまいました。
2.幹の真ん中あたりに棘のようなものが
ある日幹を見ると、とがった突起物が付いているのに気が付きました。
春になって、一か月以上過ぎた頃緑色へと色が変わりました。
3.丸い縮こまった葉が伸びて
幹から新しい葉が出てくれました。
薄い葉もだんだんと濃くなって元気なのが分かりました。
4.葉が茂ってくれました
棘のようなものから、新しい葉が生まれるを見て感嘆。
植物の生きる力強さを感じました。
5.こんな感じになってくれたら
これもやはり完全に立ち枯れした椿の木でした。
小さ目だったので、回復が早かったのかもしれませんね。
毎日に声をかけてあげて、葉に触れて。
植物の気持ちも通じるものがあるのですね。
6.枯れてしまった白玉椿
樹齢は60年ぐらいです。
横浜の自宅で六畳いっぱいの大きさに育ったオオムラサキと一緒に我が家を守ってくれていたと思います。
母が大切にしていた椿です。
枯れさせたくなかった一本・・・
7.横浜の自宅での庭木の堀上げ
時間に制限のある範囲で作業を終了しなくてはなりませんでした。
この年は運悪く台風の為に造園会社が多忙で来られるかどうか?
予定している日にちすれすれまで分かりませでした。
全てを仮植えする緑地へ移動させるのに一週間以上。
暗中模索の状態でした。
8.朝早くから夜遅くまでの作業
グループ二班で交代で来てくれました。
皆さん、20代から30代でパワーがありましたね。
造園会社は通常数人規模が多いです。
移植作業は経験のある会社で若い方でないと無理だと思いました。
9.大きな庭木の根も大切に
重機が庭に入ってましたので。
それで持ち上げてトラックへ積む作業です。
非情に大きな木が持ちあがるのかと心配して見ていました。
すごいと感心したのは最後まで塀も一軒半ある門扉も壊さなかったことです。
重機を操作する作業員の方も上手でないと出来ない事ですね。
時間に猶予がありませんでしたので。
最後のトラックを見送った後は涙が流れました。
亡くなった母との約束を果たせてほっとしたんだと思います。
10.群馬県への庭木のお引越し
造園会社の緑地へあまり長く仮植えしておくと根が付いてしまいます。
そしてここも霜がおりるシーズンになってしまい。
移住して一度霜がおりてしまい焦りました。
移植しても根が傷んでだめになってしまうからです。
植木を掘り上げる時は地熱が高いと難しく、植える時には霜がおりる前。
引っ越し荷物の段ボール100箱以上も片付かないうちに。
夜は段ボール箱の間に寝て、群馬での移植作業をはじめました。
11.どの植木をどこへ植えるか?
落葉樹と針葉樹、春から冬の景色を想定して自分なりに考え指図しました。
庭木が一番美しく見える配置を一本ずつ。
数年経っても枝どうしがぶつからないように・・・
草物もそれぞれ位置を考えました。
春は一斉に花が咲きますが冬の景色も大切だと思います。
寂しくなったお庭に千両とか赤い実があると良いですね。
12.枯れないで頑張ってくれた自作の椿
2024/04/06
5枚目の写真の椿は横浜で交配し育てた自作のピンク系の椿です。
親椿は赤椿と白玉椿でここへ移植しましたが酷い霜と寒さで枯死。
子の椿も全て葉が落ちてしまい枯死する状態、地元の造園会社にも見てもらいましたが枯れると判断されたのは辛く悲しい思いでした。
でも毎日声掛けして励まし続けたのが効いたのか、幹にじかに葉が出て花も一輪咲かせてくれました。
この写真は現在の姿です。
枝を伸ばしてくれて花も毎年たくさん咲かせています。
本当に諦めなく良かったと毎年思っています。
13.一重と八重が一緒の幹に咲く不思議さ
2024/04/06
通常椿の苗木は一重と八重に分かれて売られるそうです、ですからありえないと思い植物専門の協会などへ質問しましたが答えが出ませんでした。
最初に下段付近の開花は一重椿、上段付近の開花椿は八重、中段付近は一緒に咲き揃う面白さです。
咲きはじめは一重椿の姿!
長距離輸送をした庭木と草類の移植。
特に成長期を過ぎた大きな木は難しいと思いました。
立ち枯れした植木も数多く。
でも植物の生きる力を信じて、日々肥料をあげ世話をしていました。
そして息を吹き返した椿の木。
本来は伐採したと思うのですが、待った甲斐がありました。
植物にも言葉は通じるのだと思う、不思議な経験でした。